さて、
ヨーガは、つながること
とお伝えをいたしました。
私自身とつながる
私以外の「何か」とつながる
私がつながると決めた「何か」
ここと強く繋がり続ける
そのように
"私の気持ち"を大切にして
決意する・誓いを立てる
それがヨーガなんですね。
では実際に、
私とつながることができていますか?
私って何ですか?
そんな抽象的な質問をしてみたら
どうでしょう?
答えられますか?
「私は?と言われてもよく分からない!」
もしくは、
「私のことは私が一番よくわかっている!」
このように、
人それぞれ感じ方は違うでしょうね。
ちなみに、
私は〇〇という名前で、
何歳で、〇〇に住んでいて、
〇〇の仕事していて、、、
という言葉が私を表しているように思いますが、
この部分は、
私という存在の外側であって、
いずれ変化をしたり、
なくなる存在でもあり、
本当の姿・私の本質であるか?
といったら、、、
そうではないんですね。
またヨーガの源になっている
ヴェーダの教えでは、
"私"という存在は、
過去世から選んできて
今ここに存在している
とも言われています。
つまりは、今を生きている"私"は、
過去のずっと昔の経験からの記憶を
知らないうちに受け継いでいる部分もあるし、
この世界に生まれて小さい頃の身近にいた
大人の教えや様々な経験から
自我意識(エゴ)が生まれるので、
「これが私!」
と無意識化で思い込んでいる部分も
あり得るということです。
あり得るというか、、ここは実際にあると思いますね。
そうだったから私自身は生きる上で
苦しみをたくさん覚えていましたし、
今でも「は〜っ、、、」て思うことは多々あります。
結論。
見えないものも含めて
いろんなものが絡み合って
今を生きている中で
本来の私とつながるということは、、
強く意識する、
覚悟をすることが大切になってきます。
(ここでも問われる、決意・コミットメント・・・)
では、どういう状態になれれば
「私」とつながれるようになるのでしょう?
複雑にいろんなものが絡まっている状態から
私と強くつながるために大切になってくるのが、
散漫になっているものを
落ち着かせること
ココがポイントになります!
この散漫になっているものというのは、
THE マインド
ですね!
頭でいろんなことがひっきりなしに
思い浮かぶことはありませんか?
過去の後悔に囚われて
動けなくなることはありませんか?
未来への不安や恐れを感じることは
ありませんか?
マインドというのは生きていく上で必要な存在でありながらも、
いろんな苦しみへのきっかけを作ってしまう存在でもあります。
マインドは目には見えません。
目には見えないけれど、
形はないけれど、
確かに私の中に存在しています。
人間というのは、外の世界に意識が向きがちで、
さらにマインドの悪戯による思い込みや
記憶の書き換えなんてものもありますから、
このマインドは更に複雑に絡み合います。
その上に内側の世界に意識を向けること自体に
慣れていないという現実が重なります。
そんな状況でも、
このような心・マインドと向き合い
大切に扱うことができるのが
ヨーガです。
例えば、
海を空の上から眺めたとした時。
荒波の時は水しぶきがひっきりなしに現れて
濁りが生まれている時は、
海の中にいる魚を見つけることや
海の底が見えることはありません。
まるで怒っているかのような
不安や悲しみをかき消すかのような
苦しそうな色にも見えるかもしれません。
でも、静かに穏やかな波であれば、
魚が泳いでいるのも見えるし、
海の底が見えて、
青色の海ではなく、コバルトブルーの
とても美しい原石のような色の海と出会うことができます。
これは私個人の解釈ですが、
この心の波を穏やかにすること
穏やかな波から見えた世界を
ご自身で見て・感じて・理解すること
内側とつながる繊細な感覚を育み、
本質の私がどんな私であったとしても、
ご自身の持つ広い"愛"という名の海で
包み込めるようになることが
ヨーガ
つながる
ということなのだと思います。
過去世やら過去の経験やらで培った私ではなく、
マインドにコントロールされる私なのでもなく、
意識的に・積極的に
心・マインドとつながり、
静かに繊細な内側を見ることが少しずつできるようになると、
これらをも超える私が現れ、
私が私を導けるくらいの芯や軸が見えてきます!
この過程そのものが、
私を生きる
へとつながっていくと信じています!